マンガでやさしくわかる学習する組織を読んで
会社の上司に、経費出すから読んでこいと言われた書籍がある。
小学生でも読めるビジネス本「マンガでやさしくわかる学習する組織」だ。
漫画版ではないバージョンもあるのだが、こっちの方が読みやすいだろうということで、あえてこちらが課題図書となった。
こちとら現代ガールなので、書籍版ではなく電子書籍で購入。
そう、Kindleガールである。さて、1週間で読んでこいと言われたのだが、実はまだ86%しか読み終えていない。ちなみに、3週間経過済み。強要されると読む気がなくなるのが人間の性。
また、自己啓発本というのものは、「自分で選び、自分への投資として購入」というフローを経て手に入れるものであり、他人から勧められるものではない。とはいえ、上司が勧めたくなるくらいに読み応えのある本なのだろう。
ちなみに、漫画版とはいっても、全体の80%は普通に文字本だ。5章くらいに分かれていて、それぞれの冒頭が漫画になっているのである。
お酒飲めるアピールの強い、超絶面倒臭い女「栄倉」が、主人公として工場のメンバーを「学習する組織」に成長させていくというサクセスストーリーなのだ。
「学習する組織」という上から目線なタイトル
実はこの本のタイトルを聞いた時に、とてつもない嫌悪感を抱いた。「学習する組織」というフレーズに鳥肌がたった。これって、「上司」と「部下」の間で、絶対的な上下関係があることが前提で成り立っている本なのではないか。
組織に属している一般社員というものは、上層部からの指示通り、作業を淡々とこなすのではなく、全員が共通の目標を持って、チーム一体となって組織を成長させていくべき、というのがこの本の言い分。それこそが理想の組織だという。
この本では、そのような組織を作り出すために、経営者側は一般社員に対してどのようなアプローチを取るべきなのかということを、こと丁寧にレクチャーしてくれているのである。
組織を成長させるためには、社員が思考停止しない環境づくりが必要。そのためには、企業の目標や理念を全員が共通認識として持たせる必要べき。
そう、洗脳が必要なのだ。
ロボットである社員に学習をさせて、利口なチンパンジーに育てるのだ。
学習するように洗脳させる重要性
経営者側が社員を駒として使う「ワンマン体制の組織」は好ましくないとはいうが、経営者が社員を洗脳して「学習する組織」に変貌させたところで、社員を駒として見ているという点では変わらないのではないか、と私は考える。
経営者と社員が同じ理念や目標を持っていたところで、上下関係がなくなるわけではない。優劣関係、つまり支配する側・支配される側の関係はなくならないのだ。
上層部や経営者は、駒であるロボットが「自分で考えて行動できる」ようになるまで、対等に歩み寄って(演技)、洗脳させるのだ。対等な話し合いは、結局は経営者側の手段に過ぎない。演技だ。企業ビジョンを強制的にインプットさせようとすると、拒否反応が激しくなる。なので、会話を通じて、緩やかに洗脳させていくのだ。
トップ一人で組織のあり方を考えるよりも、社員全員がそれぞれ意見を出せる状態になった方が、当然成長スピードは上がる。そのような状態にするためにも、洗脳手段(ここでいう対等な歩み寄り)は選ばないのだ。
同じ人間を駒扱いする気持ち悪さ
経営者や上層部が社員を洗脳(モチベーションを上げる)することは、組織が成功する上で不可欠だ、そうでない組織があるとしたら、それはお友達同士で運営しているサークルくらいだ。
では、一体何に嫌悪感を抱いたのか。
おそらく、「学習」というワードが引っかかったのだろう。この本を読んでいると、経営者は部下を『「学習」させる』立場である、つまり部下をその状態になるよう「教育」する役割を担うべきである、と言っているように感じられる。
組織は決して「学校」ではない。学校の場合、教師は生徒を成長させることを目的に「教育」が行われる。しかし、「組織」の場合、上司にあたる者がOJTとかではない限り、そんなことはまずありえないのだ。
組織で行われる「教育(学習する組織にするために、一般社員に学習する力を身につける)」は、あくまで上層部や経営者自身が利益を得るために行われている。会社のために全力で働く洗脳され済みの部下の成果が、最終的には自分自身の成果にもなるのだ。
経営者側は、「いいや、自分のためではない、「会社全体の利益」のためだ」と反論するかもしれない。いやいやいや、社員の間に上下関係があって、給与も違っている時点で、そんなことはありえない。だったら山分けすべきだ。
部下をうまく教育して、無事に「学習する組織」が出来上がれば、業績も上がる。上手な経営とは、社員たちを操る(洗脳)する力に長けている、というとなのである。
無意識のうちに部下を駒にしている
と、ここまで辛口的なことを書いたが、別にこの本の考えを否定しているわけでは決してない。組織における経営とは、そもそもそういうものであり、社員はいつまでたっても駒であるのは自然の摂理なのである。
そう見えないように、「私たちの会社は自由です」とかほざいている勘違い社員がいるが、お前らは完全に経営者の手中の上なのである。経営者は人員を上手く操ってビジネスを成功させていくわけなのだが、彼らにとってそれはゲームのようなもので、社員はアイテムみたいなものなのだ。
なんだよ、これだけ文句言うってことは、自分は駒ではなく経営者(上層部)になりたいのか?と思われがちだが、別に全くもってそんなことはない。むしろ会社では、すでにその立場になりつつあったりしている。
本を読み進めていくうちに、気づいてしまったのだ。自分は無意識のうちに、「学習する組織」を作り出そうとしていたということに。その瞬間、自分自身をものすごく気持ち悪い存在であると感じてしまった。
部下とは所詮「駒」でしかない。ビジネスを成功させるために「学習する組織」を作り出そうとしている者は、すでに他の駒たちを対等の関係として見ていないのである。
自分は一体何様だというのだ。
この本を私に読めと勧めた上司は、「組織を成長させるためには、社員全員が同じマインドを持つことが何よりも重要である」ということを私に伝えたかったのであろう。
しかし、結果的に、私はこの本を読んで(まだ86%だが)、組織で上の立場になることの気持ち悪さ、傲慢さに気づいてしまった。そして、組織に所属したくない、誰も洗脳したくない、指示したくない、上の世代からも駒扱いされたくない、と思ってしまった。逆効果である。
そもそも主人公がウザい
断っておくが、決して「マンガでやさしくわかる学習する組織」をディスっているわけではない。駒を上手く操って、経営することに面白みを感じる人達にとっては、名作だと思う。バイブルにすべき。
しかし、主人公である栄倉。お前は許さん。
え? 何様なの?
本社勤務である永倉が、工場で働く人間たちへかけた言葉がこれ。
どう見たって、上下関係しかない。何これ。この発言をぶっ放す前は、対等であると感じさせるために、工場着を着用したり、真摯に議論を交わしたりしていたはずなのに、最後になんなん。
もしかしたら、永倉がまだ未熟な対応をしているということを、読者が自分で気付くようにと、作者が仕掛けた工夫だったのかもしれない。知らんけども。
ああ、永倉ウザい。